かつて伊勢は神領として位置づけられて、神宮の権禰宜クラスの神宮であり、いまでいうエージェントと旅館業を営む「御師」と呼ばれる人たちを中心に、明治4年の御師制度廃止まで自治都市として栄えました。
彼ら「御師」は全国に檀家を持ち、伊勢講を組織して「伊勢参り」の仕掛け人として活躍しました。
御師 丸岡宗大夫邸
御師とは 御祈祷師・御祝詞師あるいは御師匠の略されたものと言われています。御師(おし)は他の神社仏閣にもみられるが、伊勢では(おんし)と呼んでいる。
起源 明らかでないが寿永三年(1184年、平安時代後期)豊受大神官権禰宣光親が数年このかた御祈師であったこと「東鑑」書かれていることろを見ると八百数十年前からあったようである。
役目 祈祷をし、諸国の壇家にお祓いの大麻を分賦することであったが、元弘(1330~1333)、建武(1334~1335)のころより専ら諸人民の祈祷を勤め、私邸においてお祓いを行い初穂を清め、祈祷の詔刀言上し、別官摂社教導拝礼し、私邸へ止宿させるのが御師の役目となった。
こうした御師の存在は伊勢だけでなく、熊野、富士、白山、出羽などの聖地では古代から知られていた。
建物
門は長屋門で、冠木を受ける太い柱間に八双金物。饅頭金物のある2枚の扉が開き、本柱の一方に小さな潜り戸が付いている。
門を入ると式台がある。式台のところで客を送迎し礼をつくした。
式台を上ると四畳がある。四畳と式台の間の引き戸は昔を偲ばせる。
四畳を通って南側には幅二畳の床の間付きの十畳と八畳の続きの間、東側に板敷の廊下、西側に縦長の九畳の部屋があったが、今はこの場所に新しい建物が建っている。
この部分は所有者の記憶を基に復元作図したもので、客間兼神楽殿に使用されていたようです。
本来はさらに南に十間ほど延びた規模であった。
御師制度廃止後
御師は江戸時隆盛をきたしていたが明治四年(一八七一)に明治政府によって御師制度が廃止された。
それ以来家計維持の為座敷を取り払い等して縮小していった。
しかし「明治二十一年(一八八八)神宮より大麻領布を従前どおりにしてもよい。」と許可がでて増築したところもあったが以前のようにはいかず徐々に衰退していった。
今回は御師の歴史文化とお伊勢参りの食事会に参加させて頂き、みな御師の歴史文化を身近に感じとる事ができました。
光れ街道夢おこしの会一同