子どもたちの夢をのせて伊勢街道を後世まで守っていきたい
この思いを六軒町、市場庄町から四日市日永追分へ南はお伊勢さんまで繋げていきます。
お伊勢参り、人びとは昔よりどんな夢を見て歩いてきたのでしょうか?
歴史・文化への考え方は個々に差があり、日本文化に対する関心を高めることは、今までの価値観ではなく、車社会の便でもなく、歩くことによって自然と触れ合い、新しい発見を生み出せるものはないでしょうか、街道は全国に沢山ありますが、参宮街道を原点とし、感心を高める知恵を生み出すことを目標にしていきます。
伊勢本街道の歴史
古くは倭姫命の巡行伝説に始まり、古代から中世には、都が置かれた大和・山城の国を結ぶ道として整備されてきました。
そして、江戸時代の伊勢街道(参宮街道)は、お伊勢参りの公道として東海道の四日市日永追分から伊勢までの18里が幕府によって脇街道として整備されました。伊勢音頭にも「伊勢に行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」と唄われています。
多くの参拝客は、伊勢に向かう脇街道の自然や多くの人々に出会い、お世辞を受けて参宮することを喜びにされていたのでしょう。
伊勢本街道(参宮街道)
全国にはたくさんの街道があります。
伊勢神宮へ向かう街道がなぜ参宮街道と呼ばれるのか?それは最高の神である天照大御神を祭り、天皇が直接祭祀を行われる唯一の神社である伊勢神宮の参拝道に対する尊称であるといわれています。
参宮街道という名が全国に広まった事は、日本人の心のふるさと伊勢神宮への参拝道という位置付けだった事には間違いはありません。
江戸時代から始まったお蔭げ参り、平成22年は60年に一度起こるというお蔭げ参りの年でもありました。
また平成25年は式年遷宮があり、私達は一生に一度のお蔭げ参りと一生に3~4回の遷宮に巡り合う事ができます。
伊勢街道にあんどんを
22年~25年までの節目の年を迎えて、我々は伊勢街道(参宮街道)(松阪市六軒町、市場庄町)から光と夢を発信させていただく事になりました。
街道に光と夢を今一度当てようと、行灯(あんどん)の設置を計画。
行灯の灯りは私達にとっては心の光となり世の中すべてにお蔭げと思う心が人から人へと伝わっていくのではないでしょうか。
また、行灯に詠まれた川柳・俳句は人の心を和ませ、夢をかきたててくれるでしょう。
最初に行灯設置をする地区(六軒町、市場庄町)には参宮街道の宿場町の名残が随所に残っています。
六軒茶屋は伊勢音頭別れの唄で、「明日はお立ちかおなごりおしゅう 紅葉のような手をついて糸より細い声を出し 六軒茶屋まで送りましょう」と唄われ、三渡橋の袂には大きな道標や常夜灯が昔の風情を残しています。
市場庄町は県内でも珍しい妻入りの町並みが残り、大正時代の民家「いちのや」を拠点として、まちおこしの団体「格子戸の会」が町並み保存の活動をされています。