武四郎まつり行灯提供参加 平成25年2月27日
音威子府村は北海道の北部を流れる天塩川の流域にあり、安政四年(1857)に松浦武四郎が探検で訪れ、北海道という名前を考える基になった言葉をアイヌの長老に教えてもらった場所であることから、「松浦武四郎 北海道命名之地」と記された碑が建てられているそうです。
音威子府村 佐近 勝 村長のあいさつ
今回の武四郎まつりには、北海道音威子府村(おといねっぷむら)から佐近 勝 村長が駆け付けられ、音威子府村のPRや特産品を販売していただきました。
「寒いね」と言いながら、頑張るよ。
武四郎祭りは、毎年2月です。この頃の伊勢平野は鈴鹿山系からの風が強く寒い日となりますが、寒波をはねのけ綺麗どころのお姉さんが武四郎汁を振る舞ってくれます。
隣りのキャラクターは、武四郎(たけちゃん)です。
三雲振興局の世古局長もアイヌ民族の衣装を着ていただき、おもてなしに大忙しです。
武四郎まつりの目玉 アイヌ古式舞踊
武四郎まつりのメインを飾るのは、毎年北海道各地からアイヌ民族のみなさんをお招きして行われるアイヌ古式舞踊です。
アイヌ古式舞踊は、国の重要無形民俗文化財に指定され、ユネスコの世界遺産の一つである無形文化遺産に登録をされた、アイヌ民族に伝わる貴重な踊りです。
今回の武四郎まつりには、北海道札幌市から「アンコラチメノコ ウタラ」のみなさんにお越しいただきました。
「アンコラチ メノコ ウタラ」というグループ名はアイヌ語で、日本語にすると「ありのままの私たち」という意味なのだそうです。
しょんがい音頭と踊りのメンバー
しょんがいには、松阪市3偉人としての音頭があり武四郎もその1人として「武四郎一代記」があります。
少し紹介をさせていただきます。
頃は文政元年の梅の花咲く春の頃・勢州小野江の村里に産声あげし男の子あり、これぞまさしく武四郎・7つで手習い13で儒学おさめて早くから文化の道を志すと1番から15番まであり、最後は、絵にも唄にも才覚かけて数多残した文草の1つ1つが文化材・波乱に満ちた生涯を70才で目を閉じると波乱万丈の生涯だったと思います。
松浦武四郎記念館の展示室
武四郎まつり当日は、展示室もたくさんの人が見学されていました。
展示室には、武四郎の功績を紹介する映像を見ることができたり、原寸大の武四郎の像が置かれているほか、様々なパネルがあります。
また、60日ごとに全ての展示資料が入れ替えられており、多彩な分野に活躍をした武四郎の姿を知ることができます。
今回は、武四郎と幕末の志士たちをテーマにした展示で、大変貴重な吉田松陰の手紙などが展示されていました。
松浦武四郎誕生地の特別公開
武四郎の実家にあたる「松浦武四郎誕生地」も特別に公開され、普段は見ることができない建物の中をのぞくことができました。入り口では、アイヌ民族の衣装を着て記念撮影ができるようになっています。
この家の前の道が伊勢神宮へと続く伊勢街道であることから、江戸時代の旅籠の食事を紹介するパネルなどがあり、江戸時代にタイムスリップしたかのような雰囲気を味わうことができました。
前川代表と小野江小の子供達
今年から6年生が武四郎の短歌を行灯へ貼り付けてくれました。
代表が子供達に俵万智さんの紹介をしますと、子供達からは頑張るぞとの意気込みが感じとれました。
この行灯は、武四郎の短歌と共に卒業式の会場に並べられます。