鳥羽街道「鳥羽大庄屋かどや」
「かどや」とは、江戸時代後期から薬屋を営んでいた廣野家の屋号で、江戸後期から明治・大正にかけて隆盛を極め、鳥羽随一の資産家といわれていました。
江戸時代には庄屋のなかでも代表格である大庄屋を務めていました。建物は、文政8年(1825年)と明治17年(1884年)に改築されたもので、平成16年に廣野家より鳥羽市に寄贈されました。
平成22年から改修工事が行われ、平成25年5月から「鳥羽大庄屋かどや」として一般公開されています。
行灯贈呈
平成26年4月4日の夕暮れ時、鳥羽大庄屋かどやの軒先は、「光れ街道夢おこしの会」(代表:前川幸敏氏)から贈られた20基のあんどんの柔らかな光に包まれました。
保存会の清水久行会長に
平成26年4月4日18時30分から贈呈式が行われ、「光れ街道夢おこしの会」の山本節理事から、かどや保存会の清水久行会長にあんどんが贈られました。
行灯の文字
あんどんに描かれている文字と絵は、鳥羽市内の有志の方々の協力によるものです。
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旧広野家住宅(登録有形文化財)
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台所
かつて台所だった場所で、内蔵にしまわれていた生活用品が展示されています。
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仏間
仏間の襖です。座敷の襖には、本居宣長の孫弟子で江戸末期には国学者として全国に名をはせた足代弘訓(あじろひろのり)の書が多数飾られています。
これは、廣野家の六代目当主と足代氏の親交の深さを物語るものです。
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火鉢
明治天皇は明治10年、横浜から神戸に船で向っていた際、暴風を避けるため鳥羽の常安寺に急きょ宿泊されることになり、廣野家所有の火鉢で手を温められました。
あんどんのやさしい光
鳥羽は、「光れ街道夢おこしの会」が活動を展開している伊勢街道からは離れていますが、かどやの場所が、伊勢から志摩に通じる唯一の街道に面していたことから仲間入りさせていただきました。
あんどんのやさしい光に浮かび上がる文字と絵が、道行く人を引き付けます。
毎年夏を告げる恒例の赤崎祭(6月22日)や、かどやのイベント等にあわせて、随時点灯される予定です。
登録有形文化財
かどやの建物は民俗資料としての重要性が認められ、母屋と内蔵、土蔵が平成18年に国の登録有形文化財になりました。
明治時代の図面を元に復元された玄関には、江戸時代に実際に薬を作る時に使われていた道具も展示されています。
「鳥羽大庄屋かどや」
「鳥羽大庄屋かどや」は、鳥羽の文化施設として平成25年5月にオープンしました。
鳥羽には毎年たくさんの観光客が来られますが、かどやもこの行燈のやさしい光のように道行く人達を引きつけられる施設として、鳥羽の発展に貢献してまいります。