平成28年4月2・3日 参宮街道沿い・三井家跡地にておもてなし
4月2日~3日は松阪市三大祭りの一つで本居宣長翁を顕彰する宣長まつりが催しされ、夢おこしの会は茶業組合様・松阪赤菜様と観光客をおもてなし。
笑顔でふるまい
松阪市の特産品、深蒸煎茶と松阪赤菜・本日は大盤振る舞い・お土産に大評判。
外国からの観光客も舌打ちです
松阪茶の深蒸煎茶・松阪赤菜の説明に聞き入ってくれました。
※深蒸煎茶→三重県は、静岡県、鹿児島県に次ぐ全国第3位のお茶どころです。
松阪市は県内有数の深蒸煎茶の産地で東京ドーム約80個分の茶畑で上質なお茶が栽培されています。
深蒸煎茶は、蒸す過程で長く蒸すことで成分が浸出しやすく色が濃くほどよい渋味で苦味の少ないまろやかなお茶になることが特徴です。
松阪赤菜
松阪赤菜は,約400年前に松阪城を築いた蒲生氏郷が伝えたとされ一時流通が途絶えたが市内の農家のグループが復活させ栽培から加工販売まで取り組んでいる根や葉の軸は赤く色鮮やかで、主にお漬け物に加工し、酢漬け、ぬか漬け、塩漬けなどになります。
漬け物は牛肉との相性も良く、すき焼き、網焼きの付け合わせにお勧めです。
また、生でも炒飯などの炒め物や于切りにしてサラダとしても良く合います。
ライオン像と記念写真
ライオン像の由来(敷地内の立て看板の説明です)
このライオン像は、平成27年9月28日、株式会社・三越伊勢丹ホールディングスより松阪市に寄贈されたものです。
三井家の始祖・三井高利は松阪市に生まれ全国にその名を知られる大商人となりました。
この、高利が延宝元年・江戸日本橋に開業した呉服商・越後屋は後に三越となり、現在の株式会社・三越伊勢丹となります。
この、ライオン像は歴史のご縁による株式会社・三越伊勢丹ホールディングスと松阪市との連携協定書に基づき三井家と松阪市の歴史と未来をつなぐ象徴として松阪市の要請により寄贈いただいたもので「ライオン」と命名しました。
三越のシンボルであるライオン像は、ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン記念塔下のライオンで鋳造されたもので「願いをかなえてくれる像」として有名でまたがると念願がかなうと言い伝えられています。また、参宮街道と松阪城大手門通りが交差するこの地は、かっての三井家の屋敷の一部で豪商のまち・松阪の玄関口にあたり、往時は全国から様々な人・モノ・情報が集まる交流拠点であり、こうした土地の利は江戸に店を持つ多くの松阪商人を輩出し、その発展に大きく寄与しました。
三井家と松阪市の歴史と未来をつなぐ来遠(ライオン)像をこの土地に置き訪れる多くの方々にふれていただき人々の願いをかなえる像として愛され、親しまれる松阪市のシンボルとして後世に伝えます。
三井家発祥の地
参宮街道沿いにある、堂々たる門構えです
三井高利は元和8年(1622)に、この地で誕生した。生家は商人で松阪城主・吉田大膳重治の指で越後屋を名乗っていたと言う。
高利は、14歳から江戸で修行・28歳から松坂に戻る。妻を迎え、子供達を育てながら金融業などで資本をたくわえ、52歳で江戸・京に進出、大成功を収めた。
日本橋の越後屋
当時の賑わいがよくわかります。
三井家発祥の地の案内板
【三井家の女性たち】
高利の母、殊法は夫に代わって商売を切り回した女傑で高利らを著名な商人に育てた。
高利の妻、寿讃は人格者で細やかな気配りで夫を支え、松阪でたくさんの優秀な息子を育て三井の事業を盤石のものとした。
【三井と松坂】
高利は京都に拠点をうつしたが松坂にも木綿の仕入れ店と一族の一部が置かれ江戸時代を通じて松坂の名家であった呉服業と金融業で大成功した三井は近代以降も東京を新たな本拠として発展を続け現在の三井グループへとつながっている。
交流の場となったポケットパーク
旧三井邸跡地がポケットパークに整備をされて、 今回、始めて特産品の松阪茶と松阪赤菜のふるまいのおもてなしのイベントを私達の夢おこしの会が呼びかけて盛大にできた事に感謝の心です。
これからも、このポケットパークを利用され、いろんなイベントが催しされると思います。
皆さん方も、良いイベントがありましたら、是非、使用して下さい、お待ちしています。