祝 北海道の名付け親 松浦武四郎 海道命名150年生誕200年
30年2月25日釧路の氷まつり2018年2月3日・4日、さっぽろ雪まつり2018年2月5日~12日
2018年、北海道では武四郎が北海道と命名してから150年の大きな節目の年です。
松阪市では武四郎の生誕地があり、こちらでは生誕200年と言う大きな節目の年です。
蝦夷地の名前を北海道と明治政府に提案をした。北海道の名付け親です。
私達の夢おこしの会も、武四郎の功績を次世代に伝えていく為に、全国から沢山の方々が北海道へ来て頂く北海道での最大のイベント「さっぽろ雪まつり」叉、「釧路氷まつり」に参加が出来たら、今以上に北海道の名付け親・武四郎の名前を全国の皆様方に知って頂けるビックチャンスと思って、釧路氷まつりと、さっぽろ雪まつり参加に踏み切りました。
釧路氷まつり
最高気温がマイナス・最低気温はビックリの氷点下10度。私も初めての参加で二度ビックリです。
しかし、子供達は勿論ですが、大人の方々も寒さに負けず釧路市最大のイベントですから元気良く参加をされていました。
釧路氷まつりに武四郎登場
武四郎の氷像は釧路の祭り関係者の方々に制作して頂きました。
私の釧路市の友達も当日は、登り旗「武四郎生誕200年・お祝い」を持って頂きました。
高齢ですが、寒さに負けず立って頂き釧路市の方々に武四郎の功績を説明をして頂きました。頭の下がる思いです。
ライトアップされた氷像
夜になると、一気に気温が下がります。
会場には、寒さ何のその、人人人で大賑わい。花火も沢山上がり釧路の夜景を楽しませていただきました。
マリモも夜景に浮かぶ
釧路市の中心地から、車で約1時間、阿寒湖に着きます。2月に行けば氷が張っていると思いますが、湖底ではマリモが元気に育っていると思います。
緑に光る、マリモは幻想的で釧路市の皆様方も見入っていられました。
私も、この様な光景初めて見ました。ラッキーでした。
武四郎雪像前にて
さすが、北海道最大のイベント「さっぽろ雪まつり」。
毎日、観光客が途切れもせず何百と制作された雪像を眺められていかれます。
私は、武四郎を知ってもらう為に、朝9時から午後4時頃まで「北海道と名前をつけた松浦武四郎です。足を止めて見て下さい。
是非、シャッターを切って下さい」と声を上げて呼びかけました。
沢山の皆様方が足を止めていただき、シャッターも切っていかれました。
何十万人の皆様方が、武四郎と言う名前を覚えて頂いたと思います。
武四郎雪像前にて、地元の子供達も
雪まつりには子供達もアンケートを取りに参加をしている。どこから来たのですか、市民雪像投票に参加をして下さい。氷像の感想はと問いかけて楽しそうに話し掛けてきます。
武四郎雪像前にて、
子供達に、この人誰ですかと声掛けられ、この人は北海道と名前をつけた松浦武四郎です。
いくつぐらいですかと60歳ぐらいかねと、いろいろな質問をもらいました。
いつまでも、語りついでくれると思います。
大通り公園は大賑わい
私も、雪まつりは初めての参加ですが、完全武装でカメラ片手にテレビ塔まで歩きました。
足は、滑るは、転けるはとてんやわんやです。
4日目ぐらいに、慣れたのか、アイゼンを忘れていったら転んでしまった。
恐々、テレビ塔までたどり着けました。
友達の案内で公園内に出店されている方々が地元の食材を使った食品を食べさせて頂き、雪まつりに参加して良かったと思いました。
北海道(昔の蝦夷地)を見つめる武四郎
時は文政元年 梅の花咲く春やよい勢州須川の村里に うぶ声上げし男の子あり
これぞ松浦武四郎 七つで手習い十三で儒学修めて早くから文化の道を志す香る兆しの探検家
北海道(昔の蝦夷地)を見つめる武四郎
旅をかさねて五年目の 夏に舞い込むよい知らせ 幕府の命で函館の奉行勤め肩書きで北へおもむく武四郎
アイヌと仲良く手を結び 共に栄える友愛の情けを善を敷く
これぞまさしく名に恥じぬ 北海道の名付け親
北海道(昔の蝦夷地)を見つめる武四郎
吹雪く津軽に とどまりて時の来るのを待ちあぐね弘化二年の雪解けに荒れる海峡乗り越えて 初めて蝦夷の土を踏む
河伝いに漁場から渡り歩いて辿りつく そこは最果て身も凍る北の岬の知床に建てしわが身の標柱碑
絵にも詩にも才たけて あまた遺した文草の ひとつひとつが文化財
波乱に満ちた生涯を70歳で目を閉じた
三雲が生んだ探検家 松浦武四郎の一代記で御座います。
釧路市・札幌市・雪まつりに参加をした「所感」を述べます
武四郎の話を聞いて頂く観光客の皆様方
氷点下の中、「この雪像が、北海道の名付け親・武四郎」と声を掛けると立ち止まって話を聞いてもらえました
私も、雪まつりの期間中、寒い辛抱をしましたが立ち止まって話を聞いて写真に収めてもらい、これが武四郎と分かって頂けただけでも観光客の皆様方にお礼申し上げます。
そして、松阪市の名前も、今までは松阪牛の松阪市かと思っていられたのが、北海道の名付け親・武四郎の故郷かと覚えて頂けただけでも、10日余りでしたが寒さに耐えて武四郎の雪像の前で、登り旗を持ってもてなした事、効果は大であったと自分では思います。
そして、もう一つ、日ハムの清宮君の市民雪像が皆様方の投票で入賞したと聞いた時には嬉しく感激をしました。
来年の雪まつりもチャンスがあれば頑張りたいと思いますので、ご協力よろしくお願い申し上げます。